365日おたく

ただの備忘録

テニミュ3rdと王子様へ

大好きなミュージカル テニスの王子様のイベント「秋の大運動会2020」を観に行った帰りの電車の中で、どうしても卒業前にテニミュに関わってくれた人たちにありがとうの気持ちを込めてブログを書きたいと思ってから1年が過ぎてしまいました。

 

元々私は3rd最後の公演をもって推しのオタクを”休憩”するつもりだったから、拙くてまとまりのない文章だけれどこのタイミングでテニミュと推しへの思い出と感謝を残そうと思います。

 

2020年、本当は5月31日に彼らは横浜大千秋楽のDream Live2020(以下ドリライ)で卒業を迎えるはずだった。

刀ミュあたりが中止になった頃から嫌な予感はしていたけれども、まだ公式から何も発表されていない時は、

「客降りがなくなるか、やったとしても延期かな〜。コロナ収まったらギリ行けるやろ!」

とか結構ナメて考えていた。

しかし、コロナ禍は一向に収まる気配はなかった。

そして忘れもしないあの日、TLに流れてきた「中止」の発信源は公式アカウントからだった。根っからのオタクの私だが、そのツイートを見た時は以外にも冷静だった。最初に思ったのが「事前に買い貯めていた大閃光の使い道がなくなってしまった…。」というしょーもないことだ。しばらくボーっとして、またツイッター開いて、フォロワーが嘆いていたり、キャストが中止になったことに対して呟いていているのを見て…。翌日になってもなんか現実味がなくて、でもやっぱり脳が受け入れるのを拒否しているのかよく再生していたテニミュのDVDや音楽をそれ以来視聴することができないでいた。

 

その後、公式の計らいで元々横浜公演をする予定だった2日間にわたって全国立海公演がYouTubeで無料配信された。この時は見るのが最初辛かったけれど、コメント欄は1stと2ndの亡霊が蘇ったり、スパチャでチケット代を払う人や、跡部ソロで5万円投げる雌猫とか幸村の治療費を払うオタクで賑わっていて、愛が溢れた大喜利会場と化していた。個人的に1番元気が出たコメントは、後編の曲「最終決戦」で青学と立海メンバーが交互に技を披露しながら前に出る演出の時に流れたイケメン回転寿司だった。コメ主さんありがとう。

キャストもツイッターで「#みんなでテニミュ」とタグをつけて公演を振り返ったりしていて、2日間ともすんごい楽しかった。そして、配信の最後に流れたアンコール曲「スマイル・アンド・ティアズ」をキャストがリモートで歌うサプライズ映像を見て、私は遂にドリライが中止になったことを受けとめ涙を流したのだった。

 

そして、3rdシーズン最後は、Dream Stream(以下ドリスト)という映像配信になった。正直、私が推しを応援し続けた4年間が事前収録の配信で終わることには納得がいかなかったけれども、それでもこんなご時世でファンを楽しませてくれたり、キャストの卒業の場を用意してくれたのには運営への感謝以外の何物でもない。本当にありがとうございました。視聴した感想は後述にて。

 

さて、ここからはそのドリストに至るまでの私と推しの主にテニミュに関する思い出を振り返らせていただきたい。ただの脳内花畑オタクの昔話なので、とばしてもらっても大丈夫です。

 

私がテニミュに出会ったのは2015年、3rd青学VS山吹が上演中の時だった。

前はジャニオタだった。しかし当時親友だと思っていた同担が実は裏でオタ潰しなどやばい行為をしていたことを知ってショックを受ける。同時期に元担当に冷めかかっていた私はこれらの理由でオタ卒寸前、界隈を離れて違う趣味を見つけたいな~と考えていたところだった。元々テニスの王子様自体の興味はというと、アニメとゲームの実況見るくらいの程度で、今こんなに人生に関わってくるとは本当に思ってもいなかった。一時期ハマっていた某実況者が、動画で「あいつこそがテニスの王子様」を口ずさんでいたのが全ての原因。その後歌詞が頭から離れなかった私は、友達に氷帝推しの原作厨がいたので彼女が所持しているテニミュ関係のDVDを全て見せてもらった。

 

見事に沼に落ちて、3rd山吹公演のライビュに行った。

幕が上がり、音楽がかかるのと同時につま先から脚にかけて鳥肌が立ち、ビリビリと痺れた。はじめての感覚だった。自分と同い年くらいのキャストが舞台を走り回り、変幻自在にボールを操る照明とワクワクするような楽曲、迫力のある歌声とダンス、カテコではキャストが客席に来てダンスやハイタッチ…割と本気で世界が輝いて見えた。その時は、ただただ楽しさに圧倒されて飛びぬけてこの人推す!という役者はいなかったが、次の公演は絶対に現地へ行って観劇しようと心に決めたのだった。

 

2016年4月、遂に発表された青学8代目の卒業と3rd氷帝戦。私が推しに出会った公演だ。

先述の私にDVDを貸してくれた友達の布教によって見事氷帝が好きになった私は、とりあえず新キャストが発表された瞬間に全員のSNSをフォローして読み漁った。そこで目に留まったのは、顔がかっこよすぎるのに自分より年上の方が書いたとは思えない(超失礼)ようなギャルみたいな絵文字満載のゆる~いブログだった。私がこの後4年間全力で応援することになる山﨑晶吾さんを知った瞬間だ。

「えっこんな顔面国宝なのに文章めちゃめちゃゆるくてかわいい…おもしれー俳優。」

夢小説のような流れで気になるキャストができた私は、ほぼ毎日更新されたほわほわ感が癖になるブログに癒されながら観劇初日を待った。

そして実際に観劇をして彼を推すことになったのは、大阪公演中でのことだった。最大の決め手は、カーテンコールのお辞儀があまりにも丁寧で綺麗だったこと。幕が下りる時も優雅な雰囲気のキャラのまま客席に笑いかけるその人は、まさに王子様のようだった。晴れて私に新しく「推し」と呼べる存在ができたのだった。しかも次の日は客降りで隣で止まって踊るもんだから、ジャニオタでは経験できないキャストとの距離と尊さに沸き散らかし、帰りに以前DVDを見せてくれた友達に電話で「テニミュ楽しいじゃん!」と越前リョーマみたいなことを言い出す始末になった。

結局大千秋楽までチケットを増やし観に行くこととなったのだが、これは青学8代目(以下青8)の卒業公演であり、当時新規だった私にとっては青8が初めての青学で、3rdシーズン始動からの積み重ねがある彼らには歌・ダンス・お芝居などどれも引き込まれるような魅力があった。最後の最後にハプニングもあったけれど、みんなでカバーし成功させた青8を、「大きな存在」だと思った。それと同時に、今回の公演からこれからの3rd氷帝は、彼らが数年後テニミュを卒業する時にそれに届くのだろうか、それを私も最後まで見届けたいと思うようになった。

 

それからは、テニミュはもちろん、推しの出ている舞台やイベントには行ける日全て観劇・参加してきた。

推しを応援した時間は本当にあっという間だった。新幹線や夜行バスに乗りすぎて、日本で1番遠征してるんじゃないか?と錯覚した。関東氷帝に続きリリイベや六角公演も通った。大楽、いつも爆笑シーンだと思っていた幕間の榊の部屋で推しと氷帝への好きが爆発して死ぬほど泣いた。

推しの演じる滝萩之介は、原作に活躍するシーンがあるわけではなくセリフや登場コマも他キャラと比べて圧倒的に少ないため、ベンチの王子様とか言われてるし解釈難しそうだな~と最初は思っていたのだが、彼の演じ方を見てキャラに対する見方が変わった。彼はあまりにも”氷帝”だったのだ。宍戸に負けたといえど、200人部員のいるチームのレギュラーだったのである。そんなん強いに決まってるじゃん。彼は試合に出られなかったけれど、日替わりなどで決して自分を下げるような発言はしなかった。宍戸をよくネタで馬鹿にしていたけれど、彼の実力を認めた上での台詞だったから1回も不快にならなかった。次こそは勝って試合に出ると常に前を向いている、そんな誇り高くかっこいいキャラに、どんどん惹かれていった。その極めつけが大千秋楽の幕間だった。

六角公演の日替わりは、割とキャラ解釈について賛否両論があったらしいけれど、そういうの関係なく私は役を大切にする推しやチーム愛のある氷帝を益々大好きになり、演技とはいえ推しの悔し涙を見て、これからも舞台でいろんな役を表現するところを見たいと思った。

 

それからすぐTeam Live HYOTEI(以下チムライ)・ドリライが続く。ジャニオタ卒業後全くコンサートに行っていなかったため、オタクの血が騒いでしまった。当時終演後に呟いたツイートを見返したら、 副部長ズ沸きすぎて人外の声出たとか、フォロワーと大閃光合計21本持って指変形したとか書いてあった。こわい。あと氷帝の「season」が大好きで個人的に1番生で観たいと思っていたから、聴くことができて感無量だった。

 

チムライでは、大楽の氷帝コールが特に印象に残っている。水色のペンライトと私たちのコールが梅田芸術劇場を埋めていた。何年もジャニヲタしてきて今までそういう演出・機会にはたくさん触れてきたはずだったのに、まだ応援し始めて1年しか経っていない推しの現場で今までで1番の感動で胸がいっぱいになった。いつもは暗くてよく見えない客席が、ペンライトによってどれだけのファンがいるか見えること。ドリライの時もそうだったけれど、この景色を舞台の上に立つ推しに初めて見せることができたのが本当に嬉しかった。

推しは自らファンに感謝を伝えたいと開いた最初の個人イベントで、200人くらいのキャパのライブハウスで「10人集まったら奇跡」だと当時のマネ(社長だったかも)と話していたらしい。その時実際集まったのはおそらく100人くらいはいて、推しはめちゃくちゃ喜んで、挨拶で涙目。その時の表情が忘れられなかった。彼には、私含めもっとたくさんのファンが応援していることを知ってほしかったから、自信をもって次の作品にも出演してほしいと思っていたから、チムライとドリライであの景色を彼らと共有できたのはオタクしててよかった~!って感じたことのひとつだった。あっち側からしたら本当に何様だよって感じだけどね。

 

その後もテニミュは欠かさず観に行ったが、私はその時には推し個人としても好きになっていたので、彼の現場を優先的に全通したりそれなりに積んだりしていた。前に推しが苦手と言っていた歌は舞台を観るたびに上達していったし、特にコメディ劇の芝居が誰よりも上手いと思った。あんな面白いブログ書くくらいだから絶対上手いだろって思ってたら本当に上手かった。その後も2.5やストレートの舞台に出続け、全国氷帝前、ついに明治座に立った。推しの芝居とどんどんパワーアップするテニミュを観て、推しがまた氷帝として戻るのが待ち遠しかった。いつお芝居する姿を見ても、推しは誰よりも仕草が綺麗で、役を大切にして、面白くて、ファンを大事にしてくれている。嫌なことがあっても見れば元気が出る。私はそんな彼を応援するのが楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

2018年、全国大会青学VS氷帝開幕。

 ずっと楽しみにしていた全国氷帝。私はちょうど資格試験の勉強と大学の卒論を並行してやっていたので、我ながらめちゃくちゃ頑張ったと思う。

東京~凱旋公演まで、日本中を遠征した。テニミュを通して仲良くなった友達と連番しまくったり、大阪公演の時には知り合いのオタクがほぼ全員メルパルクに集結していて、休憩中にお互いの推しや日替わりネタについて語ったり、オタクの家に泊まらせてもらったり、公演以外でも超充実した期間だった。公演ではあまりにも思い出がありすぎて書ききれない。何回も泣いて何回も笑った。スマイル・アンド・ティアズに関しては初日歌詞とダンスの意味不明さに爆笑したが今聴くと号泣案件である。いつも終演後に推しがSNSを更新してテニミュについて書いてくれるのにさえ毎回大喜びしていた。テレビも雑誌も見ないくらいずっとテニミュ中心の生活になっていたので、青学が準決勝に進んだニュースしか知らなかった。

 

嘘、話盛った。ニュースじゃないけれどあんまり良くはないことも耳には入った。当時の推しは次々と舞台作品・イベントに出たり積極的に配信をしてくれていたので、当然めちゃくちゃ人気が上がっていたし、トレーディンググッズの交換が全然見つからなくなるレベルだった。そうなると当然見る人も増え、推しの言動をよく思わない人だって出てくるわけで、あることないこと噂になったり叩いている人がいることをフォロワーから告げられてくっそ病んだ。いろんなオタクがいることはジャニオタ時代から重々承知だったし、以前同担から嫌な思いをしていたから、いずれこういうことになるかもしれないというのは覚悟していたはずだったのに、なんか知らんけど本人に関係ないオタクの私が病んでた。

私は彼が楽しそうに芝居をする姿が好きだった。解釈が難しい役でも、自分なりに考えて作り上げている姿に毎回ドキドキした。どう思うかは人それぞれだと思うけれど、推しのことを否定されていたのが単純に悲しかったし、こんな大切な公演期間中に目に入ったら嫌だな…。とも思っていた。だから私はそれをかき消せるくらい芝居のよかったところを褒めまくる手紙とコメントを毎回書いた。それを推しが見たとか元気づけられたとかいうことは、こっち側は一生分からないしただの自己満足だけれど、脳内花畑なりにオタクをした結果こういうことしかできなかった。

 

それでも私はテニミュに通い続けた。テニミュで大好きな氷帝と推しが輝いているのを観ると、そういうことも全部忘れて、明日からも元気にオタクしよ~!って思えた。花畑なので。D1の試合が好きだったため凱旋では小早川俊輔さんのオタクと連番して泣いて、大楽では推しがカテコの立ち位置でダンスするのをゼロズレで見たりハイタッチすることもできた。最後に誰よりも近くで見れた彼はやっぱり優雅で綺麗だった。近くの席だった友達と終演後肩組んで笑いながらの大号泣でTDCの階段を上ったことは忘れない。終わった時にはもう外野の声なんてどうでもよかった。私は全国氷帝で最後まで素敵な推しを応援できたことへの嬉しさと達成感・多幸感でいっぱいだった。私が応援し続けた彼らは、あの時感じた「大きな存在」に確実に届いていた。

 

2019年、就職を期に現場数が極端に減る。

私がこの年入社した会社は、いわゆるブラック企業だ。オタクすること最優先で土日祝休み・完全週休2日制と求人に書いてあったところを選んだのに、実際はほぼ週休1日制でパワハラが蔓延する職場だった。騙された。それでもテニミュと推しの現場が休みと被ったら欠かさず行った。舞台を見ると元気が出るので最初のうちはまだ頑張れていたが、毎日残業でどんどん現場数も減った。一緒に観劇した友達とのアフターにも行けず、感想を語る暇なく1人夜行バスで帰ってそのままお風呂入ってから出勤という鬼畜スケジュールには、さすがに虚しさを感じていた。

推しの現場を優先して通うことでいっぱいいっぱいで、テニミュから少しずつ気持ちも離れていっていたし、その推しに対してもあまり頑張れず、以前よりも純粋に舞台を楽しめないようになっていた。一瞬だけ現場より布団で寝たいと考えた自分が嫌いだった。そんな時、テニミュ大運動会の開催が発表された。期間は平日の2日間。両方とも仕事だったが、私はこれに「休んででも行かないと」と思う。これが全ての転機になる。

 

テニミュ大運動会でモチベが完全に戻り、全国立海後編公演を観劇する。

大運動会は体調悪いフリをして休んで行った。旅行とかで有給が取れない会社だったので。ちょっとだけ罪悪感があったが、公演後は心の底から行ってよかったと思った。

まず、異常な安心感があった。友達と連番したり、グッズ列に並んだり横浜アリーナのロビーで話したりして久しぶりにオタクしている実感が沸き、最後にテニミュに通った全国氷帝がつい最近のように感じた。そして開演早々入場して現れた氷帝を見て泣きそうになった。内容は本当に面白かったしめちゃくちゃ笑った。2ndの円盤も見せてもらっていたから、3rdで推しが参加する運動会を間近で観ることができたのが嬉しかったし、個人的にはダンシング玉入れで跡部様の「俺様の美技にブギウギ」で氷帝メンバーがチムライの時と同じ振り付けで踊ったのがエモくて1番沸いた。2日間にわたる運動会でテニミュに対するモチベが一気に戻ってしまった私は、帰りの電車の中で「そっか、もう3rd終わっちゃうんだな」とふと頭に浮かび、終わる前に感謝の気持ちを文章で残しておきたいと思ったのだった。

 

そして全国立海後編。大晦日に初代立海・海堂のオタク2人と観劇。観劇後、友達と感想の話が尽きずただただ楽しくてやっぱり私はテニミュのことが大好きなんだと実感し、テニミュを終わらせない世界線に行くためにアンケートにびっしり3rd感謝の気持ちと4thをやってほしいということを書いた。4thと新テニが発表されるまでオタクの間ではなぜか3rdで終わるという話が広がっていたので結構必死だった(笑)。

 

心が折れる→全国立海後編のライビュを見る→今に至る。

テニミュを楽しんで最高の幕開けとなった2020年、コロナ禍になる前の休日に推しの舞台に行ったときは、彼の今までとは違う雰囲気の役を演じているのを観れて嬉しかった。しかし、会社でのパワハラエスカレートし始め深夜まで業務する日もしばしばで、そんな中遠征していたので体力的・精神的にもかなりしんどいところまできていた。推しのことは変わらず大好きで観劇中も幸せなはずなのに、現実の辛さが勝ってしまって勝手に終演後に自己嫌悪。だけどやっぱり応援したいから現場には行ってまた病むという悪循環。

私ってなんのために働いて生きてんだろう?

ついに、推しの現場に行けなくなってしまった。その後すぐに出てきたコロナ禍も相まって私はあの日から推しの現場に足を運べていない。手紙も後ろめたさを感じて書けず、本当に彼が大変な時に少しの力添えもできなかった私はオタク失格なのではないか。もう限界だ。心が折れてしまった。仕事もオタクもなにもかも辞めたくなってしまっていた。

 

 そんな状態になりながらも、せめてテニミュは最後まで見届けたいと思ったため全国立海後編のライビュには行った。公演が始まる前、もうこれで3rd本公演は終わりなんだと思ったら、ふと関東氷帝からの推しが走馬灯のように思い浮かんできた。あれ、私死ぬのかな?

 

以前大阪公演を観に行って内容は分かってるはずなのに観劇中涙でボロボロになった。物語中の越前リョーマと自分を重ねて見てしまったからである。

リョーマは記憶喪失になりテニスを忘れてしまう。しかし、今まで戦ったライバルたちと試合をしていくことによって今までの自分を思い出し、決勝でテニスと出会った時のことや楽しさを思い出して天衣無縫の極になる。山吹公演からテニミュに入った私は、舞台を観たのも初めてで新しい世界の何もかもにワクワクして、その後の関東氷帝で推しに出会い舞台に通うことの楽しさを知った。友達が全然いなかった私がたくさんの大好きな友達に出会うことができた。辛いこともあったけれど、乗り越えられたのはいつも推しが頑張っているのを観てきたからだ。それが今は、自分のことに必死で大好きだったテニミュも推しのことも楽しんで観れないなんて、なんか惨めすぎないか?

全部終わってカテコでやり切った笑顔のキャストたちを見ながらテニミュって私の原点だ。ここに帰りたい」と思った。次々と思い出した推しも、最高にキラキラしていた。またテニミュや推しの現場に通った時のあの気持ちに戻りたい。

テニミュは私にとって「帰る場所」であり、推しやたくさんの友達と出会えた「特別な作品」だった。オタクをやめたいとか思ってたが私はやっぱりテニミュが大好きだ。とどめに阿久津仁愛くんの挨拶で「テニミュはまだまだ終わらない」という言葉を受け、私もまだやり直せると思い、オタクとしての原点回帰を決意することになる。

仕事は生きてく上でしないといけないので私は転職するなりしてどうにかこの状況から出る、推しのことは3rd最後になるドリライで卒業するまで全力で応援して、それからは生活が落ち着いてまた元気に現場に通えるまでお休みしようという結論になった。そして、見届ける為、ドリライのチケットを集めた。転職活動のため有給も取れない会社は辞めてバイト三昧だが、生きる気力がだんだん沸いてきたのでまったく後悔はしていない。

 

…のだったが、現実は悲しいもので、その時には既にコロナが流行りだして舞台が次々と中止になっているし、転職先もなかなか見つからない状況だった。はじめに戻る。

 

本当は推しの座席当選写真を自引きしまくった伝説の休憩時間の話やチムライお見送りで貰ったおもしろレスについて全公演分語りたいところだけれど、きりがないのでこの辺で終わりましょう。

 

そして11月15日、ドリストが配信された。

ドリストを見終わった。最初から既に涙目状態だったが、いざ始まったら

楽曲映像に大爆笑だった。

 CMの時点で「ぶっとんだのありそうだな…」とは思っていたけれど、この令和の時代に平成初期のMVみたいなのがちらほらあるわ木手は飛んでくるわ白石の後ろに幻覚が見えるわで楽しかった半面いい意味ですんごい困惑した。ただし、氷帝贔屓なので「俺たちはブリザード」と「Stll hot in my heart」を2年ぶりくらいに踊る推し達には心の底から感動し、最後というのを噛み締めて視聴した。あと、ラブルスの曲で例の大閃光は使いました。ユウジ歌上手くない?とにかくドリストの映像はずっと笑って沸いて感動してという楽しく忙しい内容だった。

めちゃくちゃ泣いたのは終盤の、青10の卒業ソングと特典映像「輝け、もっと」だ。この2曲、イントロの時点でもうダメだった。役者の道を選んでくれて、オーディションを受けてくれてありがとうと映像の中にいる5年前くらいの推しに言いたかった。

 

さらに続けてあった卒業式の映像。卒業証書授与で氷帝はみんな同じ場所ではなかった。

「もう本当に卒業してバラバラになっちゃうんだな。」

と思った。だけどみんなの挨拶を見て、私は笑った。彼らはいつもと変わらない氷帝だった。それぞれ違う道に進んでも心のどこかは繋がっていそうな関係。マジ何目線だよって感じだけれどそう思った私の記憶の中にいる彼らは4年前から変わらずずっと、1人1人の個性が爆発しているけれど集まったら無敵の9人だ。最後までそんな氷帝を貫き楽しませてくれた3rd氷帝に心の中でスタンディングオベーションを送った。内海さんがブログで10年後に集まってライブやりたいとか言ってたので私はそれまでは頑張って生きようと思う。

 

本音としては、私は彼らがペンライトの光に包まれながら卒業していくのを見たかった。氷帝だけじゃない、テニミュにとって「大きな存在」に届いた彼らを元々のドリライ大楽の日に笑顔で次の舞台に送りたかった。だけど、本来5月で終わるはずだった3rdシーズンをこの日まで、このコロナ禍の状況にも関わらずたくさんの愛をくれたカンパニーに圧倒的な感謝の気持ちでいっぱいだ。

「誰も悲しまない、ラストは絶対みんな笑顔で終われる」これがテニミュだと最後の最後に感じた。私の原点は最高で最強のコンテンツだった。

 

翌日、推しがツイッターを卒業証書の写真とともに更新した。「たくさんの幸せをありがとう」「テニミュ 氷帝 宝物」そのままこの言葉、お返しします。

あなたは、私にとって1番のテニスの王子様でした。

テニミュとあなたに出会えて応援できたことは、この4年間で1番ステキなことだった。

 

一旦また元気に現場通えるまで休憩するよってブログだったけれど、もうこんなに好きで全力で応援できる存在いないんじゃないかと思っているので、もし今後別の界隈のオタクとかしてたらツッコんでください。早くあの場所にまた戻りたいなあ。テニミュ4thも、新テニミュもいっぱい観たい!大好きなので。こんなだらだらと文章書いている時にも、思い出の曲を口ずさむくらい。

 

いろいろあるね 生きるって!

今 お前に伝えたい言葉 わかりきってる言葉

それは…

 

 

 

ありがとう晶吾くん。ありがとう滝さん。

ありがとうテニミュ3rdシーズン。

大好きだよ。

ずっと忘れないよ。

 

カンパニー・キャストの皆様、約5年間お疲れ様でした。

これからも益々のご活躍を応援しています。

テニミュ最高!!

 

卒業おめでとう!またね。